とかげ手帳

手帳の中身のおすそわけ

フィクションと私についてぐるぐる考えたこと

 こんばんは。お久しぶりです。守宮ビブロンです。

 近頃、いろんなことが起こりすぎていて、久しぶりに「人生」を楽しんでいます。自分の人生、という言葉をぼんやり聞き流してきた私ですが、「これがお前の人生だ、どう歩むかは自分で選びなさい」と突き付けられたような気持ちです。いわゆる「人生の岐路」に立っているのだと思います。

 まず、前提として私の人生観を綴っておきます。まあ、このブログを読んでいる人には自明のことではあるでしょうが、少しお付き合いください。
 子供のころから、自分に興味のない人間でした。卒業式に泣く、なんて経験はおろか、何があっても(なるほど、こういう結果になるのか)などと他人事のように受け入れてきました。人生はあくまで創作の資料であり、自分はそれを観測する存在だと考えていました。何様やねんって話ですよね。
 人生に求めるべき面白さをフィクションに求めていた、というべきでしょうか。作品の考察をしたり、登場人物に感情移入したり。フィクションに一喜一憂することが楽しくて、やめられなくて。どんどん生活に浸食し、抜け出せないでいました。何かに熱中していないと生きている心地がしない。もうこれは「依存症」に近い状態だったと思います。
 私は、私の人生の主人公たることを忘れていた。だから、今になってあたふたしているのでしょう。私が主軸である人生なんて考えたことがなかったから。未来については本当にぼんやりとしか考えたことがなくて、なるようになるだろうと思って生きてきたツケが回ってきた感じです。
 他人事もいい加減にしろ、と過去の私に言いたいです。後々困るから、と。

 フィクションのために生きる。このような生活を否定しているわけではありません。ただ、それがいつまでも続けられる人はすごいと思っています。生きる世界を掛け持ちできるような情熱があって、うらやましい。
 私があまりにも自分の人生について考えてこなかったのが悪いのです。「私にとっての幸せ」だとか「なりたい自分」だとか「十年先の未来」だとか、小学生のときに考えるようなことを今になって真面目に考える羽目になっています。でも実際、大人になってみないと分からないことだらけです。曖昧な答えしか出せないけれど、考えることをやめることなく、価値観を更新し続けていきたいなと考えています。
 
 と、いうことで。
 私、守宮ビブロンは自分の人生を生きることで精一杯です。だから、今までのような熱量を持った記事は書けないと思います。でも、好きなものは好きですし、全力で向き合いたいという気概はあります。更新頻度は低くなるとは思いますが、気まぐれにお付き合いくだされば幸いです。


*おまけ
 価値観更新の場として、noteを使ってみようと思います。よろしければのぞいてみてください。

note.com