とかげ手帳

手帳の中身のおすそわけ

「推し」とは

 どうも、こんにちは。引っ越しまで一週間を切っていることに驚きを感じたビブロンです。急に寒くなって雪まで降り出したこの大地にまだ馴染めません。

 

 ところで、ふと疑問に思ったことがあります。それはタイトルにも挙げた、「推し」とは、ということです。

 推す、という言葉は推薦する、と同じように人に薦める意味合いが強い言葉です。よく使われている「推しキャラ」というのは、人におすすめしたいほど好きなキャラ、という感じでしょうか。私はそんなふうにとらえています。

 「推しキャラ」という言い方は浸透しているし、使い勝手もよさそうだな、と思った時期もありました。でも、いざ使うとなると違和感を感じてしまったのです。

 そもそも私はそのキャラを人に薦めたい、という思いを抱いたことがない気がします。そのキャラが好きである、というのは私を知ってもらう上で話すことはありますが、別に一緒に好きになってもらいたいとか良さを知ってもらいたいとかは思っていないなと。私ではないのだから、同じ思いを抱けと言うのは乱暴だとすら思っている。

 「推し」でないならなんなのか。単に好きといってもいろいろ種類があります。私の場合、基本的に「そのキャラの一生を見守りたい」という思いに尽きるので、あえて名づけるなら「見守りキャラ」とでも言えばいいんでしょうか。

 少し話は変わるのですが、粛々と見守っていたい私にとって「布教」なる言葉はいまいちピンときません。「布教」と言っても、好きな作品の知名度を上げよう、という感じの「布教」はとてもいいことだと思います。そうではなく、キャラのみとか特定の関係性のみとかをピックアップした「布教」は理解できません。私に交流欲がないからでしょうね。

 

 「推しキャラ」という言葉とは相容れないな、という話でした。何にせよ、人に薦めるって難しいことなので、安易に「推し」だからと押しつけたくはないですね。こういうのもあるよ、ぐらいに留めておきたい。聞いてもらえると熱くなってしまうのはよくないな、と反省して終わります。