とかげ手帳

手帳の中身のおすそわけ

『ナルト烈伝~うずまきナルトと螺旋の天命』読書記録 *ネタバレしかない 

 これはビブロンの個人的な読書記録です。読み進めるたびに幻覚を読んでいるのではないかと不安になったのでまとめた次第です。

 

注意事項

・ノベライズは公式ではありますが、解釈の一つという認識でいます。

・圧倒的七班贔屓です。

・時系列に沿うように努力はしていますが、前後しているかもしれません。

・結構つっこみどころはつっこんでいます。

・口調が荒い上に長くてうるさいです。

・『サスケ烈伝』のネタバレも含みます。

・お手元に『ナルト烈伝』をご用意していただけるとより楽しめるかと思います。

以上のことを念頭に置いて、お読みください。

 

序章


 モブ目線から始まる冒頭、好きです。いつもはキャラクター視点だからか新鮮な気持ちになります。期待されているナルトを見るだけで幸せになってしまう。護衛メンバーならぬ親衛隊だなんて思ってました。この時点で期待値が上がり、少し不安にもなる序章。

一章


 苦しみながらも里の人に悟られまいとするナルトも、家族には知られたくないという父としての矜持も、ナルトが一番信頼しているメンツも好きなのですが、46ページです。正確に言えば、42ページから47ページ。火影のためというよりナルトのために動いている気がしてならない。愛されてるな、ナルト……。「里の未来とオレの命、どっちが大事なんだよ!」この言葉から、里のためなら死ぬんだろうなというナルトの覚悟が見え隠れしている……。ここのナルトとサスケの言い合い、嬉しいような悲しいような。どんどん喝を入れてって欲しい。そしてその二人を見守る三人も好きです。序盤も序盤なのに濃い。
 あいつの代わりはいないけど、お前の代わりもいないんだぞ……。みんなのために、が強すぎて自分が守られることにいまだ慣れていないナルトにもどかしい気持ち。いい加減慣れてくれ。守られてしかるべき人だということを分かっていない……。
 現れるタイミング良すぎて見守っていたのかと疑うレベル。ここで問題発言。57ページです。
「お前が火影じゃないなら意味がない」
 この発言に悩まされました。読んだ瞬間はフリーズしてしまって何も考えられなかったのですが、一体どういう意図で言ったのだろうとぐるぐる二日ぐらい考えました。その結果、木ノ葉に必要だから、という理由以外にも何かあるのではという気持ちに行き着きます。しかし、これは願望ではないのか、本当にこれでいいのかと不安になりました。私は私を一番信用していません。
 ということで。ニ部の序盤まで読んでいて、それからあとはあらすじのみという認識の友人に意見を求める事態に。しょうもないことを一生懸命考えてくれてありがとう……。
 友人いわく「まずナルトの夢を強く尊重した上での発言だなと思う。ナルトが、一番になりたくて里の皆に認められたくて、サスケを越えようとしてきたのを一番感じてきたからこそだよね。
次に、里の長としての重みがある気がする。ナルトって元の木の葉の里だと異端児、つまりこれまで木の葉を作り上げてきた人々とは違う存在だよね、だから、これまで日陰になっていたような場所を、例えばナルトやサスケみたいな存在にも、変革をもたらすことが出来るかもしれない。自分達みたいな、被害者を出さないために。
友達としての信頼と、存在としての期待があって、自分はナルトが取り戻してくれたからここにいる、その意義を果たすってことじゃないかな!」とのことで。
 2番目の意見は思いつかなかったので、深く沁み入りました。なるほどな……。どうしても主観で覆われてしまうので、別ジャンルの友人の意見は貴重です。火影であるナルトが木ノ葉のために必要であるだけではなく、自分のためにも必要なのだという夢を見てもいいのだろうか。木ノ葉の平和はナルトがいるからこそ保たれている、とも読み取れそうな気がする。さんざんこの言葉に考えさせられて、死ぬな発言をおろそかにしてしまった。ライバルとしての言葉はそれなのかな。
 そんなサスケの思いを知ってか知らずか、それでも守られたくはないナルト……。全部が全部分かりあえているわけではないこの関係性が好きです。喧嘩して、本音言い合って、ちょっとずつ歩み寄ればいいんだ。
 ナルトとサスケに馬鹿って言えるのはサクラちゃんだけです。このタイミングで来るの好きだなあ。チャクラを使えない火影はこれから出るかもしれない。でもきっと、ナルトのなりたい火影とは違うんだろうな。いざというとき、里を守れるだけの力が欲しい。そう願って今までやってきたんだもんな。
 絵心のある大蛇丸様でシメ。一番茶にしては濃くて苦い……。

二章


 ナルトとゴーグルはアカデミー時代を思い出す。ネジの修行日誌がお宝すぎる。本選のことが書いてあって、律義で、らしいなと思った。ナルトの言葉に泣きそうになる。
 雨野ちはれ、雨のち晴れのもじりかな。メガネをかけてそう(個人的感想です)。チャクラ万能説、サスケ烈伝の時から思っていた。道教で言う「気」の概念に近いのかな。万物の源で、人も神もこの世にある物はすべて「気」から作られる。存思、そこにあるのだと強く念じることで「気」を放出できると考えられていた。チャクラはそれに似ているなと。
 火影は譲らないとは言えないところが大人になったなと感じた。なりたくてなれるものではないと分かっているからこそだな。意外と核心は第三者が突くことが多い。だからか、オリキャラやモブとの絡みが結構好きだったりします。
 バイクに乗る七代目なんて誰が想像できただろうか……。私は夢にも思わなかった。ギリギリで生きてる……本当、そうですねヤマト隊長……。

三章


 アジトメンバーに馴染んでる隊長にほんわかしつつ、123ページです。噴き出して笑っちゃうほどの思い出がこれで私はとても幸せな気持ちになりました。名前間違えちゃうサスケも指摘できないみんなも冷静に言っちゃうサクラちゃんもそれで笑ったことをずっと覚えているナルトも愛おしくてしょうがない。ああ……こういう些細な日常を過ごしていると分かっただけで幸せです。羅列した思い出全部見たい……。
 里のためならどんな仕事でもって……本当、誰かに必要とされることを喜び、生きる糧にしているんだなとしみじみ思う。個人的にサスケが忍以外に周知されていることに驚きました。ほんっと他人のことばっかだな、ナルトは! 自分の価値を認めてほしい。火影になってすら自己評価が地の底なのはなぜなのか、と思ってしまう。過去の話を本人の口からさせるんじゃない……。でも、軽く笑いながら話しているのを見ていたら、ああ、もうあれは過去の出来事だと笑えるほど今は幸せなんだな、と思って……。
 ナルトって人の話聞くのが好きだよなあ。昔聞いてもらえなかったことが関係しているのだろうか。一楽、イルカ先生、テウチさん! いやあ現役だと描写されていて嬉しい。アヤメさんはどうしているのだろう。(ライブで顔が映った途端声が出そうになるぐらいには好きです)人たらしってはっきり言ってくれてすっきり。自覚がないから厄介だ。時たま出てくる科学的思考や哲学的思考、好きです。SFみたいで大好き。求心力、まさにそうだなと。
 サスケとサクラちゃんの帰還を悟ってほっとするナルト。待つことが一番苦手そうだから、我慢して心配してたんだろうな。この二人の話は『サスケ烈伝』で読んだんですけど、突然のジュ○シック○ークに笑わざるを得なかった。友人に実況してたら「pkmnみたいだね」と言われたのがツボでした。サスサクがかわいかったです。ハッピーエンドでよかった……。
 「不法侵入したことないの?」に笑ってしまった。一回や二回してそうだけど、国際機関、にはさすがに忍びこんではないのかな。すぐ突進するんだから……。体を少しは大事にして欲しい。チャクラなしで金属板へこませられるのは人外なのでは? 常に団結しなくても、無理に忍にならなくてもいい世界か……。ヒナタはヒナタらしく、忍として働く同期とは違う形でナルトを支えているんだろうな。くしゃみをする大蛇丸様がたいへんかわいらしかった。暗部ってまだ存在するんだ。体制が変わっても必要ではあるのかな。大蛇丸様が丸くなってなくて少し安心してしまった。あーそういう人だよね、と。そういうところだぞ、ナルト……。自分の病を後回しにして……。

四章


 ナルトが自分の身を鑑みないことに憤るサスケがツボです。大好きです。もっと言ってやって、と思う。周りがいくら大事にしようとしてもナルト自身がその精神じゃあ、やりきれないよな。そういうところがナルトらしいといえばそうなのだけれど。トントン拍子に作戦が進む。できるできないじゃなくてやるかやらないかの次元だな。さすがに腹をくくったか。カカシ先生とサクラちゃんが肩を叩くところがすごくいいなって思った。
 何もやることがないサスケ、ちょっと笑ってしまった。気づいているヒナタが来るところはいいとして、許さないとまで言うかな、と少し違和感。頼みます、と託す方がヒナタらしいのではと思った。まあいいや。
 ヤマト隊長とカカシ先生のツーマンセル! まさに縁の下の力持ち、だなあ。
 クシナさんの写真あったんだねえ、よかったねえ。ナルトはもっと自分を誇っていいと思う……。ナルトの思う火影に強さは確かに必要だけど、その人格が火影として選ばれたゆえんだと気づいて欲しい。
 久々の猪鹿蝶、と思う間もなく。はい、211ページ。このシリーズのサスケならもしかしてとは思っていたけれど、まさか本当にそうなるとは……。いつからそういう男になったんですかね。初耳ですけど。ほんっと馬鹿だな……。ナルトを聖人か何かと勘違いしてない? 信仰心篤すぎるよ……。自分の命の重さを分かってないのはサスケも同じじゃないか……。サクラちゃんとサラダちゃんのために生きろよ……。ほんとこの双璧自分の命省みないですね。
 わー! サイいなくてさみしいなと思ってた矢先にこれ! サイの口から妻って言葉を聞くのは初めてなのでドキドキしてしまった。好き。心伝身、そんな使われ方してたの……。
 暇を持て余すナルトと素直に無理するなって言えないボルト……。早く成長して引退させてあげてくれ……。頑張りすぎだよナルト、と常々思っているので、最近は平和な里で引退生活してほしいと願っています。バイクで乗りつけるサクラちゃんの図がかっこよすぎる。サクラちゃんが運転しているというのもツボです。
 お腹出してって言われて素直に従うナルトとサスケが好き……。チャクラの万能伝説がまた増えた。酸素って……いよいよ体の一部になりそう。七班はいつも出たとこ勝負だよなあ。臨機応変することにかけては誰よりも経験積んでるもんな。うちは夫妻サンドのナルトがかわいい。このメンツでサクラちゃんが運転というのが頼もしい。サクラちゃんの酸素は自給自足なのかな……。ふと思ったけれどこれ、木登り修行のオマージュかな?

五章


 シカマルとチョウジの組み合わせが久々で懐かしくてにっこりする。いのは大蛇丸様と一緒じゃあ調子でないよね……。
 サクラちゃんのチャクラコントロール、さすが……。積乱雲、バイク……金属だ、と思ったらやっぱり落ちるよね。サスケがバリバリ信用してるのも好きだけど、「あれくらい平気よ」は強すぎて惚れてしまう。そしてここでその名前の由来を回収してしまうのか……。そうですね、雷切ですね! クナイ持ってないのかと一瞬疑ってごめんな。絶縁体じゃなきゃいけなかったんだな。とんでもないことをするな……。いよいよ人外じみてきている。
 「第七班の一員」でときめいた。そうです、一員です!(大声)サイがここまで追い詰められているのは珍しい……。第七班を痛めつけることが多いシリーズですね。
 チョウジ頭いいなあ。シカマルの肉弾戦も珍しい。
 超人離れしたって……もうとっくに人を越えていると思っていた。お互いに氷を払うのがかわいい。「雨に濡れた猫」。雨に濡れた猫か……。たとえが好き……。今回七班かわいすぎやしませんか。本当に三十路ですか。
 「殺してないでしょうね?!」を何回言われたんだろうね、大蛇丸様。
 烈陀国、ペルーっぽいな。舌打ちを噛みころすサイ、好き。
 ここで助太刀に来たのが誰か本当に分からなくて、冗談半分に我愛羅かな、と思っていました。まさか本当になるとは思ってもいなかった。
 カカシ先生とヤマト隊長への信頼が篤いナルトとサクラちゃん……いいな。「バイクは急に止まれない」その通り。黒ツチまでいるの? びっくり。
 カカシ先生、六代目としての人脈フル活用してるなあ。直接話を聞けることが嬉しいんだろうな、我愛羅……。本当、ナルトのことが好きだな。
 大蛇丸様の口から旦那さんという言葉を聞けるとは。ミツキの話はいのの精一杯の歩み寄りだな。シカマルがピンチだ。
 はい、ここ。260から264ページ。問題ないのはお前にとってだけだろ……。ちらっと噂で聞いたシーンはここか。私はここむちゃくちゃ好きです。サクラちゃんのいろんな思いがギュッと詰まってる感じがして泣きそうになる。サクラちゃんからするってのがもう好きなんですよね。たぶん、一瞬の出来事だったろうな。額当て、そういう使い方する? 額当てさんはサスケの額を守ることなく散っていきました……。そのままいくと燃えてしまうからしょうがない。またそういうことする。自分の体を大事にしない。ナルトもっと言ってやって……。すーぐ命投げ出そうとする……。それはナルトが一番望まない結末だと分かっているだろうに。264ページは、ノーコメントでお願いします。何回でも言ってほしい。そうやってお互い言い合ってれば少なくともどちらか一方が死ぬことはない、と私は信じている。最近、二人が死ぬかもしれないと考えるのが本当に怖いです。
 チョウジとシカマルの必死の攻防がついに終わった……。本当にぎりぎりだったねえ。突然「奥さん」って書いてあってびっくりしちゃった。妻じゃ駄目だったのかな。
 268と289……。誰が犠牲になろうとしてもそう思うんだろうが、とんでもないこと思ってるな……。夢投げ出すんか……。このあとのナルトの行動が好きすぎて言葉にならない。義手だけど血は出るんだとか思っている場合ではない。ナルトはどうやって衛星の上にいるのか? 答え、しがみついている。そんな根性でなんとか……しそうだな、ナルトなら。他人のことばっかりとは言うが我が身を振り返ってくれ。ナルトもそういうとこあるから! 突然のクソデカ感情。十何年に違和感。アカデミー時代抜きにしても12歳からだから二十年は経っているのでは? まあいいや。ごり押しだな……。頭突き強すぎて人外ですね。極粒子が地球上に落ちないか心配だったけど、大気圏で燃え尽きたのかな。二人はたぶん須佐能乎と九喇嘛がいるから大丈夫なんだということにする。
 柱が落ちることも想定しているシカマルグッジョブだが指示が雑だな。ナルトが復活した時私は天孫降臨かと思いました(大げさ)。好きだな……。

終章


 茄子がおいしそうでうらやましい。待って、花火大会。屋根の上。サイダー。半袖。情報量が多すぎる。空き缶って何の空き缶だろうね……。サクラちゃんは酒豪なのかなあ。いいなあ。七班で飲みという素晴らしいシチュエーションに泣いてしまう。これは私の妄想ではないんだ……。毎年恒例と聞いて。毎年見たい。忍びこんでるの、七班らしいな。悪ガキか。揃って怒られてる図が見たい。結局特別に許可してくれそうだな、イルカ校長。優しいから……。ちゃんとヤマト隊長とサイも誘っている……。お礼言われて返事をしない三人……。問題は次です。大泣きしたナルト??? サクラちゃんも殴りたかっただろうなあ。ナルト自覚あったんだな。自覚があるだけで進歩だな。必要とし、必要とされることでなんとかギリギリみんな生きているんだな。そんな心配がなくなる日が来ればいいのになあ。しょうがない、ではすまされないと思うけれど、特効薬なんてないものね。所詮、花火のような命なのだろうか。そうだとは思いたくないけれど、世界規模で言えば人間の命なんてそんなものなのかもしれない。それでも生きるのだ。
 四人で乾杯の図はあまりに理想すぎて泣きました。何度夢見たことか!
 
 いろいろ思うところはあれど、私の解釈とあまり相違点がなくて好きです。カカシ烈伝読まなきゃ……。(シリーズものだとは知らなかった)
 最後まで読んだ方は少ないでしょうが、自分勝手なひとりごとにつきあっていただき、ありがとうございました。

海獣の子供は神話 *ネタバレあり

 どうもこんばんは、ビブロンです。

 慣れない東京生活に慣れた頃、思いがけずハマってしまいました。海獣の子供に……。

 原作を読了したので、改めて感想をまとめることにしました。

 

 twitterの呟きを時系列順に並べるとこんな感じです。

・映画を見た直後

 

 

  魂が抜けていたような気がします。第一印象は「私の頭の中だ」でした。

 一緒に見たフォロワ―さんには言ったのですが、あまりにも私の思考そのものでずっとあの世界に浸っていたかった。具体例として、空が消えてしまった瞬間(超新星爆発だ……)と思ったのですが、見事に的中してしまったことがあげられます。アングラードが「星が死んだ音」と言ったときは本当にびっくりしました。他にも、人間と宇宙は似ている、という話は理科の時間に聞いたなあとか、「宇宙は見えないもので満たされている」というのはダークマタ―のことだなあとか、私の中にあったものをあてはめて楽しんでいました。見ている間は小気味いいほど頭がぐるぐる働いて、今まで断片的に考えていたことが繋がっていって心地よかったです。

 昔から“無”については疑問に思っていて、命題のように考えていました。これが答えというわけではないけれど、私のふわふわした思考が映像に落としこまれたような、そんな印象でした。

 空と海について、感想ノートにはこうあります。

空と海は星の子で、きっと有が無になっただけなのだろう。この世界には無であふれている。見えなくなっただけ。人間の目から見た死、破壊というのは人間の前からなくなっただけにすぎなくて、見えないところには存在しているのだ。無が世界そのものなのかもしれない。私たちが世界だと思っているものは幻で、本当の世界は見えないところにあるのかもしれない。

 人間の見ているものは脳が補正していて、決してそのままが見えているわけではない、ということを父と話したのを思い出しました。

 こんな感じで、見た直後はストーリーやキャラクターというより、世界についての思想が突き刺さっていたのがよく分かりますね……。

 

・視聴後2日目

 

 卒論のテーマにまで影響されています。深くは言いませんが、神話だなあと思っていたのが功を奏しました。(原作は読んでいない状態です)

 

・視聴後3日目

 

 

  行動の早さには定評があるビブロンです。私なんかまだまだだと思いますが……。ちなみに米津氏の海の幽霊は2日目に購入して毎日聞いていた。

 

 

 

 2巻の途中まで読んだときのつぶやきです。海に纏わる証言が、ジュラシックパーク原作の始めに似ているなあと思いました。一般人の何気ない証言が核心や事件のヒントになっている形式大好きです。映画が洪水のような衝撃だとすれば、ゆっくりじっくり進んでいく原作はじわじわ水が沁み渡る感覚がした。

 

・視聴後4日目

 

 

 10年前のシーンですね。本当この一言に尽きました。

  これはジムのこと。相手のために、と思い込んで行動する人の魅力は言葉にできない。つまり無自覚エゴイスト大好きなんですよ。

 

 

 デデの考え方、研究したい、知りたい身には深く刺さりました。それでも探求することをやめられないのだ。

 

 

  アングラード……。実は初見時点で好きだと直感してました。

 

 

  ジム→空→海→?。この不毛な感情のベクトルの方向大好きです。噛み合っていない人間関係……。原作は人物を丁寧に追っていける分、人間関係を楽しむ余裕があります。

 地味に琉花がアング呼びなのがツボでした。なので私もアングと呼んでいます。最初はアングラとか呼んでてごめんな……。海と空はくんづけで、ジムとアングは呼び捨てなのもいいですね。

 

・視聴後5日目

 

 まだ原作では神話の言葉が出ていなかった時のつぶやき。まさか本当に神話だとは思っていませんでした。

 

・視聴後6日目

 映画ではアング→空な感じに見えてましたが、原作は海寄りのイメージです。海寄りというか、アングは言葉のない世界では海に似ていて、言葉の中の世界では空に似ているのかな。両面を持ち合わせているのがアングラードという存在なのだと思います。

 映画では空の方が突飛で思考が分からない印象が強いけれど、原作だと海の方が理解しにくい。思ったまま動いている素直な人の腹の底が見えない感じ、好きです。分かりにくいという印象を持っている人の方がまだ理解できる。考えてることがさっぱり読めなくて恐ろしいのは、ずっと笑ってる人、な気がする。

 映画で感じた認識がドンピシャで戸惑っていました。

 どうでもいいんですけど、アングって喋っている時が一番楽しそうじゃないですか?オルゴールと会話してる場面めっちゃ好き。

 心の中身を吐きだす方法として言葉を手に入れて、気持ちはそのときのままなんだなあ、と思っています。言葉のない世界で得た認識を表に出すために言葉を連ねる。中国には「賦」という表現形式がありまして。それは言葉を書き連ねているものなのですが、その理由が「世界をとらえるため」なんですよね。アングにとっての「言葉」に近いなあと。

 ・視聴後7日目

 

 水族館のバックヤードは何回か行ったことがあるので、映画では勝手に潮の香りを感じてました。あと、ハリセンボンがたくさん打ち上がっていた光景を思い出したり。不気味な深海魚たち、木村さんって感じで好きです。

 

 

 折口信夫先生の「水の女」を思い浮かべながら読む4巻。加奈子さんの過去、好きです。水と女は繋がってるんだなあ、と実感しました。あまり深く言うと卒論に関わるので言えませんが。

 なんちゅうツイートだ。

 4巻のアングとジムの噛み合わなさが好きです。こう、守ってあげたいという庇護目線のジムと人間ではない空と海のことを知りたいという好奇心で動くアング……。人間の世界に連れてきたいジムと空と海の次元に行きたいアング、という違いもあるかもしれない。引き留めるか、近づくか。水魔の話、アングは面白がっていたものな……。どうでもいいことなんですが、ピロートーク、けだるげな感じが醸し出されてて好きです。

 言葉が見つからなくて、好きですばかり言っている。

・視聴後8日目

 

  あ、これは4巻の続きですね。前後しますが、海に纏わる証言第六が程よく不気味で好みです。この話があって、「水魔」につながるんだなあと思うと、本当に構成が上手い作品だと感じます。南極でジムが邪魔しなければ、アングも第五や第六の二の舞になりかねなかったのかな、とか思ったり。過ぎた好奇心は身を滅ぼす。神と人の領域の違いをまざまざと思い知ることになるのです。(深夜テンションでおかしなことを書いていたらすみません)

 ヴィーナスには聖痕<スティグマ>として神話的英雄に見られる重瞳があったり、神話に現れる七つの乳房があったりと私をわくわくさせるモチーフでいっぱいありました。どうしよう、世界観が好きだ。ちなみに、1巻で海が琉花に「これはなに?」といろいろ聞くシーンで「蘇民将来」のお札を見た時、関係ないかもしれませんが、なるほどなあと思いました。詳しくは備後国風土記を読んでください。こんな風に細かいモチーフが散りばめられていて、ひとつひとつが意味を持っている楽しい作品です。

 これ。私は結局この巻しか読めていない。

http://blog.hatena.ne.jp/bibronii/bibronii86chidori.hatenablog.com/edit?entry=17680117127205531340#source

・視聴後10日目

 

 5巻を読んだ直後のツイートたち。

 人間ではない行動をしていた海が琉花を背負って歩くところが好きです。もしかして海の生き物から陸の生き物へ体が作り変わっていったのかもしれない。だからだんだん人間のような感情を見せていたのかな。別の世界に生まれ変わるための準備……。

 ジムとアングは選ばれなかった者たちだけれど、悲愴感はなかった。心の底では自分ではないと分かっていたのかもしれない。お互いがお互いのことをちゃんと分かっている最後の会話が好きです。似ていないからこそ分かる、みたいな関係。

 

 

 このあと30分後に始まる回に滑り込んできました。行動の早さよ。

 

 これは本当。タイトル出る前の海を見ているうちに涙がボロボロ出てきてびっくりしました。情緒不安定すぎる。脳内原作と照らし合わせつつ、映画ならではの表現に圧倒されてきました。エンドロールは言わずもがな、アングのオルゴールで不覚にも泣きそうになった。

 2回目は、アングの「空は海の中にいるよ」という言葉が印象に残った。原作でも言っていたけれど。アングが海くんの中に入っていたような描写を見たからかな。

 あと、子守唄について。

 後日のツイートだけど、こういうことじゃないかなと思っている。ところどころに原作のモチーフが散りばめられていて間違い探しみたいでした。南極も出てきたし。

 琉花の「命を断つ」がすべてを物語っていると思う。生命は水を通って生まれ、死んでいくのだ。

 原作の語り手である女性(序盤と最後に登場)の言葉をデデが言っていたのがなぜだろう、と考えていて、辿りついたこと。たぶんこの女性は琉花なんじゃないかな、と勝手に思っていますが。映画で「私もあんたくらいの頃に会ったのさ」とデデが言ったことで、琉花とデデがこう、輪のように繋がったなあと。繋がった、は語弊があるな。どっちかというと重なった。「るか」は固有名詞ではないのかもしれない。過去と未来が交差する。上手く表現できないのですが、「るか」はデデであり、デデは「るか」なのかなと。未来の自分と繋がっていたら面白いなあ。SF的な解釈ですみません。

  

 約束についての私の見解。ジムや加奈子さんなどいろんな人が交わした「約束」はそれぞれの胸の中にあるもので、第三者である私にはわからないものである、と考えている。わかっては、いけない気がする。

 

 本当、映画が原作と化学反応を起こしていて、見れば見るほど奥深い、スルメのような作品に仕立てられているのはすごいと思う。

 

  買っちゃったよね。夏を感じる曲がまた増えたな……。(ペンギンハイウェイのサントラも入手済み)つい大音量で聞いてしまう。映画館で聞きたいな。

 

 私にとって『海獣の子供』という作品はキャラやスト―リーではなく、世界観や考え方そのものが好きなんだなあとしみじみ思っています。だから比較的落ち着いている。ぶわっとした熱ではなく、じわじわと沁み通って、自分の糧になる感じ。時間を置いて読み返したらまた違うこと考えるんだろうな。

 とりあえず今日はトゥレップを見てきます。あの世界を言葉にしようとした人たちの話だと聞いてわくわくしている。

 長々と自論を読んでいただきありがとうございました。自分の備忘録のようなものなので、とっちらかっていてすみません。まだまだ言葉にできないことがたくさんありますが、とりあえず思ったことを書き連ねてみました。言葉にしないと脳内がパンクしてしまう性質なので、できないと分かっていても挑んでしまう。拙いですが、何かのヒントになれば幸いです。

 

 

さよなら北の大地

 今日、段ボールの山とさよならしましたビブロンです。今日も今日とて雪が降っている。

 いよいよこの地から離れるのだなあ、と思うと感慨深いものがあります。入学早々吹雪いたり、膝まで雪に埋まりながら大学に向かったり、停電して二宮金次郎のような生活を送ったり、カラスに頭をどつかれたり、あらゆるところで試されたのも今となってはいい思い出。

 幼児だった私にとってあこがれの地だったこの場所に住めて、本当によかったなと思います。映画館や新刊書店が近くになくて悲しかったけれど、なんとか生きてこれました。スクリーンがなければ空を見ればいいじゃない、と言わんばかりに夕焼けと夜空が美しかった。

 寒さにはいまだ慣れなくて、完全防寒しないと外には出れません。瀬戸内育ちにはつらい気温だった……。雪が積もった方がすべることがなくて安全だということを初めて知りました。冬の旅行は勇気がいりますが、一度は訪れてほしい。なんたって電車移動中の車窓からの風景がきれいです。雪の白さに負けないカラフルなおうちがたくさん並んでいて、日本じゃないような気分になります。雪がないときに、なんでこんなに屋根がビビットな色合いなんだろうと思ってましたが、冬になってその意味がわかります。地味な家は白さに埋もれて見えにくくなるからだと。

 ろくに観光していないし、すべての魅力を知った、とは言えません。でも、聞いたことのない魚を食べる、水たまりから白い湯気のようなものが出てるのはなんでだろうと疑問に思う、突然聞こえてきたニワトリの鳴き声に驚くなどいろんな発見がある生活は楽しかったです。これから都民になるのが信じられない。

 この地とは逆の自然とは縁遠い生活になるけれど、その分別の楽しみ方ができるかな、と考えています。たくさんの人間の営みを観察したい。イベントにも参加したい。日々新しいことに挑戦をしていきたい。

 

 さよなら北の大地、はじめまして大都会。

「推し」とは

 どうも、こんにちは。引っ越しまで一週間を切っていることに驚きを感じたビブロンです。急に寒くなって雪まで降り出したこの大地にまだ馴染めません。

 

 ところで、ふと疑問に思ったことがあります。それはタイトルにも挙げた、「推し」とは、ということです。

 推す、という言葉は推薦する、と同じように人に薦める意味合いが強い言葉です。よく使われている「推しキャラ」というのは、人におすすめしたいほど好きなキャラ、という感じでしょうか。私はそんなふうにとらえています。

 「推しキャラ」という言い方は浸透しているし、使い勝手もよさそうだな、と思った時期もありました。でも、いざ使うとなると違和感を感じてしまったのです。

 そもそも私はそのキャラを人に薦めたい、という思いを抱いたことがない気がします。そのキャラが好きである、というのは私を知ってもらう上で話すことはありますが、別に一緒に好きになってもらいたいとか良さを知ってもらいたいとかは思っていないなと。私ではないのだから、同じ思いを抱けと言うのは乱暴だとすら思っている。

 「推し」でないならなんなのか。単に好きといってもいろいろ種類があります。私の場合、基本的に「そのキャラの一生を見守りたい」という思いに尽きるので、あえて名づけるなら「見守りキャラ」とでも言えばいいんでしょうか。

 少し話は変わるのですが、粛々と見守っていたい私にとって「布教」なる言葉はいまいちピンときません。「布教」と言っても、好きな作品の知名度を上げよう、という感じの「布教」はとてもいいことだと思います。そうではなく、キャラのみとか特定の関係性のみとかをピックアップした「布教」は理解できません。私に交流欲がないからでしょうね。

 

 「推しキャラ」という言葉とは相容れないな、という話でした。何にせよ、人に薦めるって難しいことなので、安易に「推し」だからと押しつけたくはないですね。こういうのもあるよ、ぐらいに留めておきたい。聞いてもらえると熱くなってしまうのはよくないな、と反省して終わります。

私が考える最高の同人活動

 どうも、ビブロンです。起きたら15時でした。

 最近、同人誌の値段が高いだの安いだのが話題になってますね。私としてはこんな考えです。

 

 今はお金で回る世界だから、文学の商業化は仕方ありませんけどね。

 それは置いといて。同人活動はあくまで趣味であって、同人誌の価格を労働対価みたいに言われるとちょっと違うなと思います。そもそも同人活動は本という媒体にしたいという欲求から始まり、一冊だけ刷るのはもったいないから欲しい人に配ろうということから生まれたもの、ですよね。その本を無料でもらうのはちょっと、ということで自分の本やお金という対価を払うようになったのでしょう。ネットが発達した今ではまた違う認識なんでしょうけど。

 とある作者の作品が好きで、もっと読みたい、これからも活動してほしいという応援の意味も含まれているという意見には全面的に賛成しています。パトロンってやつですね。パトロンといえば経済的に豊かな人が多かった歴史がありますが、同人活動ではお金持ちに限りません。出せる額に限度があるからこそ、値段問題が発生するのかなと。

 無理なく応援する、という認識が広まればいいなあと思います。そして、作者側は応援されればラッキー、ぐらいの気持ちでいた方がいいんじゃないでしょうか。好き勝手に書いてたら応援されるってすごいことです。少なくとも私は感謝より前に驚きがきます。だってまったく知らない人が自分の作品読んでくれて、さらに反応(お金でも感想でもいいねでも)をくれるんですよ?? 溢れるほどある娯楽の中で自分の作品に目を向けられることのすごさを考えれば、値段なんてそんなに気にならないです。私は。

 主に書き手メインで考えてみました。読み手としては、好みの作家さんにはいくらでも払いたい、もっと応援したい、けど力(経済力や拡散力や語彙)が足りねえ、と思っています。私の中でも書き手と読み手で意見が違うのだから、同人活動をしている人たちの意見なんて千差万別。それぞれの価値観にあった活動をすればいいんじゃないかな、と思います。それが業界なんてない同人活動のよさなんじゃないでしょうか。

 

 ここから先がタイトルにある、あくまで私が楽しいと思う同人活動の形です。とっても私的。

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移動の楽しみ

 移動が好きだ。移動と言っても違う場所に行くことではなく、行くまでの過程のことである。飛行機、新幹線、船、電車、バス、車。移動する手段は様々で、どれに乗っても楽しい。一番楽しかったのは寝台列車だ。小さい頃、某夢の国に行ったのだが、私の脳にはそこに行くまでの寝台列車の記憶しかないからよっぽど楽しかったのだろう。大陸横断だとか日本縦断だとかの文句を見るたびに、いつか絶対乗ろうと決意する。

 歩いたり自転車に乗ったりするのとは違って、座っていれば目的地に着いているからすごい。乗り物酔いは滅多にしないから、その間は何でもし放題だ。本を読んでもいいし、音楽を聞いてもいい。書きものだってへっちゃらだ。ぼけっと座って、どこを見るでもなく窓の外に目を向ける、なんて贅沢ができるのは移動中ぐらいだ。

 車だけは酔ってしまうため、何もできない。そんな時には考え事がはかどる。何もしていないように見えて、頭の中はくるくる動いているのだ。だからドライブはもっぱら身をゆだねる側である。一応免許はとったが、運転中は緊張しっぱなしでとても楽しめるものじゃなかった。余談だが、大学の教授たちは若手を除くと運転しない人が多い。文学系だからだろうか。私も免許は便利な身分証という認識で、自分で運転したいとは思わない。

 閑話休題

 さて、移動が楽しいのなら散歩も楽しい。あてもなくぶらつくことは、一番の気分転換になる。しかし、そんなのんきなことが言えたのは、雪がなかったからだと痛感した。北の大地にやってきてから、冬が長くなり、寒くなった。そして雪道を歩くことが日常になると、外に出るのがおっくうになる。何も用事がないなら家にいたい。歩いていても、足元が滑るため、いつだって気が抜けない。氷でコーティングされた道路は固く、頭でも打てば致命傷になりかねない。まさに生と死の狭間である。今日、初めて転んで、手のひらと尻を強打した。安全な転び方だったからたいしたことにはならなかったが、信号待ちの車に見られて恥ずかしかった。雪道初心者としては頑張っていた方だと思う。雪道でなくとも、ぼんやり歩いていると迷うし、自転車に乗っている時に注意が逸れると転ぶ。やっぱり、ぼけっとしていられるのは他人の運転する乗り物でないと駄目だ。

 それにしても、乗り物特有の揺れはどうしてあんなに心地いいのだろうか。睡眠を十分にとっているのにもかかわらず、襲い来る睡魔には勝てない。何をしていても結局寝てしまうことが多い。速く目的地に着く乗り物が発達しているのは、時間がもったいないという考えからだろうが、私は逆に移動時間が多ければ多いほどわくわくしてしまう。これから、あの至福の時がだんだん減っていくのだと考えると少しさみしい。

*ネタバレあり 『ゼロの執行人』考察

こんにちは、ビブロンです。忙しさが落ち着いてきたので、映画見に行ってきました。

昨年『純黒の悪夢』を金曜ロードショーで見た時には「ああ、あれが話題のか。ふうん」ぐらいだったのに……沼に落ちてからはあっという間ですね。

多少覚悟を決めていったにもかかわらず、じわじわと侵食してきています。なんだあのスルメ映画は……。いろいろとんでもなかったので、私なりの考察をまとめてみました。

原作未読の上に知識がほぼない状態での私見なので、「素人が何抜かしとんじゃ!」と思った方は読まないことをおすすめします。

エンドロールが格好良すぎて、ほぼそれ目当てで2回目に行ってきました。何度見ても鳥肌立つ。

ほんの少し追記あります。ざっくり言うと、深読みしすぎた。

以下、ネタバレのオンパレードです。容赦なく書いてます。

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