とかげ手帳

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『劇場版TIGER&BUNNY-The Rising-』を見たよって話*ネタバレあり

こんばんは。守宮ビブロンです。

ついに劇場版に手を出してしまった……。(「激情版」って変換されてその通りだと思った)

初見の時はよく分からないまま終わってしまい、2回目を見た上でこれを書いています。

新鮮な感想としては

・え?

・何て言った??

・うっ……これは……(涙で見えてない)

みたいな感じでした。何もわからん。頭の中が「すごい」と「とんでもない」でいっぱいでした。言葉が消えた。沸き起こる感情が多すぎてどうしていいか分からなかった。いやだってあの……ねえ……。

 

ここからはきちんと言葉で説明します。

まず、この映画はアニメの続きを描いた作品です。全体としては「社会と自分の関係」が中心になっているのかな、と思いました。

アニメは、過去や現在の問題を自分の中で消化する話だったように思います。周りより自分、そしてコンビの在り方を確立するまでを25話通して描かれていた。だから、虎徹さんとバーナビーが向かい合う形が多かったなと。対立する関係として、そして互いを知るために向き合い、結果認めあう関係になった。対AI戦も向かい合って倒す形でした。

今回は打って変わって横並びの描写が多かったように感じます。公園のベンチ、駅のホーム、記者会見のあとの屋上……。横に立って、未来を見つめている。虎徹さんがワイルドタイガーとして追っていた「理想」を今度はバーナビーも追っていて、でもそれは虎徹さんには伝わっていなくて。同じものを見ようとしたのに、虎徹さんが「現実」にすり替えてしまった。それゆえの行き違いがあったのだろうな、と思いました。

互いを見ないのは信頼の証。でもその分、互いのことに気づけない。言わなきゃ分からないことばかりなんですよこの世は!!(どのジャンルでも言ってる)人間、大事なことは胸に秘めがちですけどそういうことこそ言わなきゃいけないんですよ。私ができていないのにえらそうなこと言えないですが……。

「社会と自分の関係」を考えるにあたって、折り合いをどうつけていくかという問題が浮き彫りにされていた。自分がやりたいこと、他人に求められること。この二つを両立させるのはひどく難しい。社会の中で自分を保ちながら生きていくことの難しさが描かれていたように思う。隣の芝は青く見えるよね、でも自分は自分にしかなれない、という話でもあった。

アニメが「ヒーローとしての在り方」を問うものだとすれば、今回は「社会の中での自分の在り方」を問うていた。事件が起きているその瞬間は、確かにヒーローであればいい。けれど人生は続く。未来に向けてどうあるべきか、その答えをそれぞれ出したのが今回の映画だったんだなあと思う。

 

つまり、作品世界には未来がある。ヒーローたちの未来が見られる……!!

改めて2022年のアニメ2期放送を嬉しく思います。先人たちは6年間待ち続けていたのかと思うと頭が上がりません。いやほんと、すごいですね……。

 

最後に、印象に残ったシーンをば。本当は全部に言及したいのですが、さすがに長くなりすぎてどうしようもなくなってしまうので端的に。

・孤児院を訪れるバーナビー

だいっすきなシーンです。なんなら泣きました。そんな……!! 14話で「マーベリックさんに恩返ししたい」という夢を語っていたバーナビーが新たに見つけた夢がこれですよ! 泣かずにいられなかった。2回目で気づいたのですが、最初に遅れたのは孤児院に行っていたからなんですね。「ちょっと用事がありまして」じゃないんだよ、ちゃんと話して。

・「顔に出やすいんだよ」と言ったライアンさん

私は別に疑ってはいませんでした……嘘です。ビルのひび割れあたりまではライアンさんが自作自演してるのかと思ってました。このシーンの何がいいって、たぶん「虎徹さんとは違う」という目で見ていたこともバレてたんだろうなと分かったからです。仕事だから組んでいるけど本意ではない、ということがバレてたんだろうな。バーナビーの気持ちはアニメのラストが物語っているので何も言いません。

はあ……最後見ると分かるんですけどライアンさんはただのいい人。それもものすごくいい人……。何も知らない第三者だから分かったんでしょうね。私はこういう、「過去にあったことをよく知らない人からの批評」が大好きです。ふざけてるように見えて優れた観察眼を持つ人、好きです。またCV中村悠一にやられてる……。

・「男は度胸、女は愛嬌……オカマは最強よ!!」

これは大好きセリフ。ファイヤーエンブレムの心の在り方が好きです。いっつも泣いてしまう。明るさに救われているドラゴンキッドの言葉が目を覚まさせたってところも好き。今回の映画は、ヒーローたちがお互いに影響し合っていてすっごくいいなと思います。誰かの言葉が、誰かの心が、誰かの行動が、別の誰かを励まし、救い、助けになっている……。うー……。ロックバイソンが直したいまっすぐ正面からの攻め方は折り紙サイクロンのあこがれだったり、「自分は自分」の言葉(誰の言葉だったんだろうか)でこのままでいいとスカイハイが思えたり、アニメで虎徹さんに励まされたブルーローズが今度は虎徹さんの背中を押したり。良循環を見ました。

・「お前にあいつの何が分かるんだよ!」と叫ぶ虎徹さん

対ルナティック戦での虎徹さん好きなんですよ……。復讐者としてはルナティックとバーナビーは似た者同士と言える。けれど、二人は違う人間だし環境も違う。勝手に「同じような考えを持つ仲間」だと自分と重ねているのが間違いなのだと思う。似ているからこそ違う考えを持っていると考えられない。その分、虎徹さんはまったく違う人間だと分かっているからこそ、バーナビーのことを客観的に見られる。違う視点から物を見ているからこそ分かることもあるんだなあ、と感心したところ。分かったような気になっているルナティックに腹が立ったんだろうな……。自分が一番分かっている、とは思ってなさそうなところが好きです。「苦しんでいる」というのもバーナビーの言動を根拠にしていそう。推測は言わないだろうな……。これは勝手な妄想です。「分かった気にならない」ことってすごいことだなと思います。

・「タイガーはヒーローだ!」という子供

ここも泣いてしまう。「ヒーローだと認めてもらえなくてもいい」と言っていたけれど、やっぱり社会では認められなければできないことばかりで。心底嬉しかっただろうな、と思うと泣けてきて……。ヒーローがヒーローであれるのは、「ヒーロー」と呼んでくれる人がいるからなんだな。たとえ一人でも。守るべき人がいてこそのヒーロー。一人ぼっちの世界ではヒーローは生まれない……。

 

端的にと言いながら長々と書いてしまいました。「情緒がぐちゃぐちゃになるよ」とおすすめしてくれた友人に言われたのですが、本当にそうなってしまった。しばらくタイバニの世界を楽しもうと思います。劇場版、最高でした!!(Beginingの方も視聴済みです)