『荒地』と91Daysの関連性について~友人完走記念~
まだ考えがまとまっていないため、箇条書きになっています。なんとなく関連していそうな個所を抜き書きしただけです。こじつけもいいところ。
本家の『荒地』の解釈は一応踏まえていますが、あくまで91Daysに即して考えているので違う考え方をしている個所もあります。ご了承ください。
そして、ところどころ友人の感想も入れています。全体を通して振り返っている感じです。
Ⅰ 死者の埋葬
四月は最も残酷な月、死んだ土から
ライラックを目覚めさせ、記憶と
欲望をないまぜにし、春の雨で
生気のない根をふるい立たせる。
アヴィリオの誕生日は四月(確かノベライズに書かれていたはず)。そして、手紙が来たのは雨の降る日だった。これも四月だったらと思うとわくわくしちゃいますね。妄想ですが。ここからすべてが始まった。「復讐を完遂してほしい」と友人も願っていて、血より濃いつながりを感じました。さすが私の友人……。
この部分との関連は当時も話題になっていました。何を隠そう、私はこの一文を見て『荒地』の購入を決めたので……。結果的に冒頭のみならず、様々な個所と関連していると気づけました。
――でも、ぼくたちがヒアシンス園から晩く帰ったとき
きみは両腕に花をかかえ、髪をぬらし、ぼくは口が
きけず、目はかすみ、生きているのか死んでいるのか
なんにもわからなかった。
生きているのか死んでいるのか。これはアヴィリオくんです。そのまんま。でもコルテオも当てはまるのではないかとぼんやり思っている。母を亡くし、アンジェロの生死は不明。そんな中生きては来たけれど、なんだか死んでいるみたいな。あの日の出来事が強く染みついていたのは、コルテオも同じな気がする。
光の中心を凝視したまま、静寂。
海ハスサンデ寂シイ眺メ。
最終話に至る道のり。海での終わりは本当にずるい。『荒地』において水は特に重要なものとして取り上げられており、一つのモチーフとなっている。実際、水死の章もある。
見覚えのある男を見かけ、ぼくは呼びとめた。(中略)
「去年、きみが庭に植えたあの死体、
「あれ、芽が出たかい? 今年は花が咲きそうかい?
「それとも、不意の霜で花壇がやられた?
「あ、〈犬〉は寄せつけるなよ。あいつは人間の味方だから。
「前足で掘り出しちまうからね。
「きみ! 偽善者の読者よ! わが同類、わが兄弟よ!」
この口上、アヴィリオが一人ずつ仕留めていく際に言ってるみたいで……。やあ過去からやってきたよって……。過去が追い付いてきて死に至るという展開は大好きです(関連性とは)。最後の呼びかけは視聴者であるわれわれに向けたものかもしれない。人間、みんな、偽善者。結局そうなんだよな……。これは、ラグーザ一家を肥料にして成長したヴァネッティファミリーを揶揄してるみたいに見える。「どう? ファミリーは大きくなった? あれだけの犠牲を払っておいてまさかくたばってないよね?」みたいな……。
Ⅲ 火の説教
河辺のテントは破れ、最後の木の葉の指先が
つかみかかり、土手の泥に沈んでいく。風が
枯葉色の地面を音もなく横切る。妖精たちはもういない。
ネロとのキャンプ生活を彷彿とさせる。ここのキャンプが後に生きてくるんですよね……。幸せハッピー(に見える)Day4、好きですよ。これから落としてくぞって気構えが見えるので。友人はアヴィリオの運転の荒さに笑っていました。当時の私のメモ「車をぶつける大会があったら優勝できるねアヴィリオくん!」個人的には荒い運転はわざとじゃなかろうかと思っておりました。きちんと、目当てのものに、ぶつけるのは得意だものね!(ノベライズにあった記述です)
鐘の音
白い塔、塔
ウェイアララ レイア
ウァルラアラ レイアララ
言わずもがな。鐘、です。作中で何度聞いたか分からない。祝福の、追悼の、そして誕生の音楽。
Ⅴ 雷の言ったこと
汗にぬれた顔を赤く照らす松明の輝きの後
庭や園を満たす冷たい沈黙の後
岩地での苦悶の後
喚き声や泣き声がして
牢獄と宮殿、そして遠く見はるかす
山々に、とどろく春雷の響き
生きていた者は今は死者
生きていたわれわれはいま死にかけている
わずかばかりの忍耐を示しつつ
劇場でのクライマックスシーンを経た、あとの状況。12話の旅路。残されたのは2人だけ。行く当てもなく、希望もなく。死にかけの2人が行きつく先は、海。焚き火のあとは、アンジェロがそのまま育っていたらこうだったのかなってくらい吹っ切れてて、本当、好きですね。4年前と同じこと書いてる気がしますけど。海は地球の生命の始まり。人間がそこへ還ろうとするのは道理なのかなと思っています。私事ですが、このころから水葬に心惹かれ続けていたのがついに丸一冊水葬をテーマにした本を作りました。阿呆ですね。
ぼくは岸辺に座って
釣りをしていた。背後には乾いた平原が広がっていた
せめて自分の土地だけでもけじめをつけてきましょうか?
ロンドン・ブリッジが落っこちる落っこちる落っこちる
ソレカラ彼ハ浄火ノ中ニ姿ヲ消シタ
イツカワタシハ燕ノヨウニナレルダロウ――おお、燕、燕
廃墟ノ塔ノ、アキタニア公
これらの断片を支えに、ぼくは自分の崩壊に抗してきた
では、おっしゃるようにいたしましょう。ヒエロニモふたたび狂う。
ダッタ。ダヤヅワム。ダミヤタ。
シャンティ シャンティ シャンティ
この部分の解説は、岩波文庫を読んでくださいとしか言いようがないです。とても詳しい注解がついているので……。『荒地』という作品の結末ですが、アヴィリオの結末にとてもふさわしい言葉なような気がして……。結局はコルテオのように(自分のように)ファミリーという強大な暴力によってこの世が地獄になってしまった子どもたちすべての復讐、みたいになりましたね。本人は最初から最後まで自分のために行動してきましたが。LAWLESSから無法者は消え、禁酒法の終わりと共にマフィアの勢力は一気に落ちていく。
すでに4年前の感想と重複しますが、これは救済の物語であると考えています。だからこの『荒地』のフレーズが合う。「ダッタ、ダヤヅワム、ダミヤタ」とはヒンドゥー教の経典の注釈書からとられていて、「与えよ、相憐れめ、己を制せよ」という意味だそうです。そして最後の3回繰り返している言葉。これもサンスクリット語で、『ウパニシャッド』の結語らしい。「知的理解を超えた平安」を祈る意があるのだとか。諸行無常を感じたのは間違いじゃなかったんだな、と思いました。
他の言葉の意味は省略しますが、気になった方はぜひT.S.エリオットの『荒地』読んでみてください。青空文庫にもあると思いますが、なにせ難解(というか引用文が多種多様)なので岩波文庫版をお勧めします。
岩波書店へのリンク
https://www.iwanami.co.jp/book/b247395.html
自殺を選ばなかった理由は、「キリスト教徒だから」じゃないかなと思っています(4年前のメモを拾いました)。腹切りが浸透していた日本と違う思想なのだろうと。それか、神を否定しても生んでくれた両親のことは否定できなかったのかなとか。
ちなみに友人がネロに対してかなり辛辣で驚きました。あまり魅力的に映らなかったのかな。「もうよくわかんない」と言っていた友人でしたが、「アヴィリオはアヴィリオの人生を選べたんだな」ということで落としどころをつけられたようです。よかったよかった。
最後はとりとめなく書いてしまいましたが、今のところはこんな感じです。他にも引用したい部分はあったのですが、しすぎるのもよろしくないので買って読んでください。以上です。
友人によって再熱してしまったため、週末は円盤で見返そうかなと考えております。買っててよかったBlu-ray。
さらに追記。ノベライズ版を参考にしましたが、読むのはお勧めしません。なぜなら人名にミスがあるからです……。あと、単純に登場人物のしぐさがすべてを物語っているのでわざわざ心象を読まなくてもいいということもあります。公式と考えをすり合わせたくて手に入れましたが、今は手元にありません。つまりアニメを見てくださいということです。資料集発売の望みはありそうにないですしね……(署名はしました)。