海獣の子供は神話 *ネタバレあり
どうもこんばんは、ビブロンです。
慣れない東京生活に慣れた頃、思いがけずハマってしまいました。海獣の子供に……。
原作を読了したので、改めて感想をまとめることにしました。
twitterの呟きを時系列順に並べるとこんな感じです。
・映画を見た直後
海獣の子供は私にすごく刺さりました……。大好きです。パンフレットは予想以上に大判でした。 pic.twitter.com/KGrYMdGbYP
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月9日
私の思考、あんな感じです。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月9日
木村真二さんすごく好きなので、美術的にも楽しめたし、久石さんの音楽も好きです(何も言えないから映像そのものについて語り出す)。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月9日
魂が抜けていたような気がします。第一印象は「私の頭の中だ」でした。
一緒に見たフォロワ―さんには言ったのですが、あまりにも私の思考そのものでずっとあの世界に浸っていたかった。具体例として、空が消えてしまった瞬間(超新星爆発だ……)と思ったのですが、見事に的中してしまったことがあげられます。アングラードが「星が死んだ音」と言ったときは本当にびっくりしました。他にも、人間と宇宙は似ている、という話は理科の時間に聞いたなあとか、「宇宙は見えないもので満たされている」というのはダークマタ―のことだなあとか、私の中にあったものをあてはめて楽しんでいました。見ている間は小気味いいほど頭がぐるぐる働いて、今まで断片的に考えていたことが繋がっていって心地よかったです。
昔から“無”については疑問に思っていて、命題のように考えていました。これが答えというわけではないけれど、私のふわふわした思考が映像に落としこまれたような、そんな印象でした。
空と海について、感想ノートにはこうあります。
空と海は星の子で、きっと有が無になっただけなのだろう。この世界には無であふれている。見えなくなっただけ。人間の目から見た死、破壊というのは人間の前からなくなっただけにすぎなくて、見えないところには存在しているのだ。無が世界そのものなのかもしれない。私たちが世界だと思っているものは幻で、本当の世界は見えないところにあるのかもしれない。
人間の見ているものは脳が補正していて、決してそのままが見えているわけではない、ということを父と話したのを思い出しました。
こんな感じで、見た直後はストーリーやキャラクターというより、世界についての思想が突き刺さっていたのがよく分かりますね……。
・視聴後2日目
海獣の子供のおかげで卒論テーマまとまりそうなアカウントはこちらです。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月10日
ほんと見てなかったら思いつかなかった……。エウレカ!って気持ちになりました(作品が違う)
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月10日
卒論のテーマにまで影響されています。深くは言いませんが、神話だなあと思っていたのが功を奏しました。(原作は読んでいない状態です)
・視聴後3日目
鯨を見に来ている……。 pic.twitter.com/dspA3SKjSM
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月12日
海獣の子供BOXを手にいれた! 読む。 pic.twitter.com/CHaXvzMHHU
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月12日
行動の早さには定評があるビブロンです。私なんかまだまだだと思いますが……。ちなみに米津氏の海の幽霊は2日目に購入して毎日聞いていた。
海は産み親、人は乳房……。なるほど人は乳母なんだ。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月12日
隕石が地球にない元素を連れてきたから生命が生まれたって説、どこで聞いたんだっけ。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月12日
2巻の途中まで読んだときのつぶやきです。海に纏わる証言が、ジュラシックパーク原作の始めに似ているなあと思いました。一般人の何気ない証言が核心や事件のヒントになっている形式大好きです。映画が洪水のような衝撃だとすれば、ゆっくりじっくり進んでいく原作はじわじわ水が沁み渡る感覚がした。
・視聴後4日目
誰だこいつ……(アングラード少年)
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月13日
10年前のシーンですね。本当この一言に尽きました。
あ~またエゴだ……。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月13日
これはジムのこと。相手のために、と思い込んで行動する人の魅力は言葉にできない。つまり無自覚エゴイスト大好きなんですよ。
確かに今は経験だけでなく、科学的な思考ができる。それでも知れば知るほど分からないことが増えていく。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月13日
わかればわかるほどわからないことがわかるようになるのだ……。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月13日
デデの考え方、研究したい、知りたい身には深く刺さりました。それでも探求することをやめられないのだ。
さらっと親を殺しかねなかったとか言わないでほしい。私は見逃さないぞ。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月13日
アングラード……。実は初見時点で好きだと直感してました。
今のところ、海は誰でもいいっていうアングラードの言葉が一番気になっています。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月13日
ジム→空→海→?。この不毛な感情のベクトルの方向大好きです。噛み合っていない人間関係……。原作は人物を丁寧に追っていける分、人間関係を楽しむ余裕があります。
地味に琉花がアング呼びなのがツボでした。なので私もアングと呼んでいます。最初はアングラとか呼んでてごめんな……。海と空はくんづけで、ジムとアングは呼び捨てなのもいいですね。
・視聴後5日目
卒論の相談にいって、とある映画にヒントをもらったと言ったら「そこは言わないんだね」と言われ……。名前出しました。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月14日
あれは神話です(断言)
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月14日
まだ原作では神話の言葉が出ていなかった時のつぶやき。まさか本当に神話だとは思っていませんでした。
・視聴後6日目
「僕もそうだったから」
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月15日
……。
映画ではアング→空な感じに見えてましたが、原作は海寄りのイメージです。海寄りというか、アングは言葉のない世界では海に似ていて、言葉の中の世界では空に似ているのかな。両面を持ち合わせているのがアングラードという存在なのだと思います。
映画では空の方が突飛で思考が分からない印象が強いけれど、原作だと海の方が理解しにくい。思ったまま動いている素直な人の腹の底が見えない感じ、好きです。分かりにくいという印象を持っている人の方がまだ理解できる。考えてることがさっぱり読めなくて恐ろしいのは、ずっと笑ってる人、な気がする。
ほんとに神話だったわ海……。勝手なイメージだったのに。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月15日
待ってこれ私が映画で受けたインスピレーションそのものだな?
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月15日
映画で感じた認識がドンピシャで戸惑っていました。
どうでもいいんですけど、アングって喋っている時が一番楽しそうじゃないですか?オルゴールと会話してる場面めっちゃ好き。
心の中身を吐きだす方法として言葉を手に入れて、気持ちはそのときのままなんだなあ、と思っています。言葉のない世界で得た認識を表に出すために言葉を連ねる。中国には「賦」という表現形式がありまして。それは言葉を書き連ねているものなのですが、その理由が「世界をとらえるため」なんですよね。アングにとっての「言葉」に近いなあと。
・視聴後7日目
水族館バックヤードは去年の冬見てたので懐かしい気持ちになってました。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月16日
冷凍リュウグウノツカイもそのときに見てたので、そっくりだなあ、とか思っていた。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月16日
水族館のバックヤードは何回か行ったことがあるので、映画では勝手に潮の香りを感じてました。あと、ハリセンボンがたくさん打ち上がっていた光景を思い出したり。不気味な深海魚たち、木村さんって感じで好きです。
そう繋がったか!という気持ち。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月16日
海、女の物語でもあるな……。水の女論だ。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月16日
折口信夫先生の「水の女」を思い浮かべながら読む4巻。加奈子さんの過去、好きです。水と女は繋がってるんだなあ、と実感しました。あまり深く言うと卒論に関わるので言えませんが。
女顔の長髪男が好きなんや私は……。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月16日
なんちゅうツイートだ。
4巻のアングとジムの噛み合わなさが好きです。こう、守ってあげたいという庇護目線のジムと人間ではない空と海のことを知りたいという好奇心で動くアング……。人間の世界に連れてきたいジムと空と海の次元に行きたいアング、という違いもあるかもしれない。引き留めるか、近づくか。水魔の話、アングは面白がっていたものな……。どうでもいいことなんですが、ピロートーク、けだるげな感じが醸し出されてて好きです。
言葉が見つからなくて、好きですばかり言っている。
・視聴後8日目
分かっていないけど助けたい……。エゴだ……。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月17日
アングのスタンスのほうが好きだけど、じむのエゴも大好きです。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月17日
あ、これは4巻の続きですね。前後しますが、海に纏わる証言第六が程よく不気味で好みです。この話があって、「水魔」につながるんだなあと思うと、本当に構成が上手い作品だと感じます。南極でジムが邪魔しなければ、アングも第五や第六の二の舞になりかねなかったのかな、とか思ったり。過ぎた好奇心は身を滅ぼす。神と人の領域の違いをまざまざと思い知ることになるのです。(深夜テンションでおかしなことを書いていたらすみません)
ヴィーナスには聖痕<スティグマ>として神話的英雄に見られる重瞳があったり、神話に現れる七つの乳房があったりと私をわくわくさせるモチーフでいっぱいありました。どうしよう、世界観が好きだ。ちなみに、1巻で海が琉花に「これはなに?」といろいろ聞くシーンで「蘇民将来」のお札を見た時、関係ないかもしれませんが、なるほどなあと思いました。詳しくは備後国風土記を読んでください。こんな風に細かいモチーフが散りばめられていて、ひとつひとつが意味を持っている楽しい作品です。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月17日
これ。私は結局この巻しか読めていない。
・視聴後10日目
読み終わった……
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
ああ~うん、そうだね……。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
そうなんだよ……。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
生まれることは死ぬことで、死ぬことは生まれること……。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
5巻を読んだ直後のツイートたち。
人間ではない行動をしていた海が琉花を背負って歩くところが好きです。もしかして海の生き物から陸の生き物へ体が作り変わっていったのかもしれない。だからだんだん人間のような感情を見せていたのかな。別の世界に生まれ変わるための準備……。
ジムとアングは選ばれなかった者たちだけれど、悲愴感はなかった。心の底では自分ではないと分かっていたのかもしれない。お互いがお互いのことをちゃんと分かっている最後の会話が好きです。似ていないからこそ分かる、みたいな関係。
読み終えて一番に思ったことが「映画見に行こ」だったからダメ。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
原作と映画の永遠のサイクルにとらわれそう。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
このあと30分後に始まる回に滑り込んできました。行動の早さよ。
始まった瞬間涙が出てきて焦った……。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
これは本当。タイトル出る前の海を見ているうちに涙がボロボロ出てきてびっくりしました。情緒不安定すぎる。脳内原作と照らし合わせつつ、映画ならではの表現に圧倒されてきました。エンドロールは言わずもがな、アングのオルゴールで不覚にも泣きそうになった。
2回目は、アングの「空は海の中にいるよ」という言葉が印象に残った。原作でも言っていたけれど。アングが海くんの中に入っていたような描写を見たからかな。
あと、子守唄について。
子守唄はお乳を吸って天に行く、みたいな歌詞だったような。それが母、そしてその母から受け継がれてきたという事実で映画では省かれてた、るかが選ばれた理由を潜ませてたのかなと。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月25日
後日のツイートだけど、こういうことじゃないかなと思っている。ところどころに原作のモチーフが散りばめられていて間違い探しみたいでした。南極も出てきたし。
琉花の「命を断つ」がすべてを物語っていると思う。生命は水を通って生まれ、死んでいくのだ。
原作の語り手である女性(序盤と最後に登場)の言葉をデデが言っていたのがなぜだろう、と考えていて、辿りついたこと。たぶんこの女性は琉花なんじゃないかな、と勝手に思っていますが。映画で「私もあんたくらいの頃に会ったのさ」とデデが言ったことで、琉花とデデがこう、輪のように繋がったなあと。繋がった、は語弊があるな。どっちかというと重なった。「るか」は固有名詞ではないのかもしれない。過去と未来が交差する。上手く表現できないのですが、「るか」はデデであり、デデは「るか」なのかなと。未来の自分と繋がっていたら面白いなあ。SF的な解釈ですみません。
個人的に「約束」はわからなくていいものだと思っている。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
約束についての私の見解。ジムや加奈子さんなどいろんな人が交わした「約束」はそれぞれの胸の中にあるもので、第三者である私にはわからないものである、と考えている。わかっては、いけない気がする。
見終えた直後に「また見たいな……」と思ったから末期。
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
本当、映画が原作と化学反応を起こしていて、見れば見るほど奥深い、スルメのような作品に仕立てられているのはすごいと思う。
サントラ……。 pic.twitter.com/kI9wLY2Ux2
— 守宮ビブロン (@gekko_asagi) 2019年6月19日
買っちゃったよね。夏を感じる曲がまた増えたな……。(ペンギンハイウェイのサントラも入手済み)つい大音量で聞いてしまう。映画館で聞きたいな。
私にとって『海獣の子供』という作品はキャラやスト―リーではなく、世界観や考え方そのものが好きなんだなあとしみじみ思っています。だから比較的落ち着いている。ぶわっとした熱ではなく、じわじわと沁み通って、自分の糧になる感じ。時間を置いて読み返したらまた違うこと考えるんだろうな。
とりあえず今日はトゥレップを見てきます。あの世界を言葉にしようとした人たちの話だと聞いてわくわくしている。
長々と自論を読んでいただきありがとうございました。自分の備忘録のようなものなので、とっちらかっていてすみません。まだまだ言葉にできないことがたくさんありますが、とりあえず思ったことを書き連ねてみました。言葉にしないと脳内がパンクしてしまう性質なので、できないと分かっていても挑んでしまう。拙いですが、何かのヒントになれば幸いです。