とかげ手帳

手帳の中身のおすそわけ

私が考える最高の同人活動

 どうも、ビブロンです。起きたら15時でした。

 最近、同人誌の値段が高いだの安いだのが話題になってますね。私としてはこんな考えです。

 

 今はお金で回る世界だから、文学の商業化は仕方ありませんけどね。

 それは置いといて。同人活動はあくまで趣味であって、同人誌の価格を労働対価みたいに言われるとちょっと違うなと思います。そもそも同人活動は本という媒体にしたいという欲求から始まり、一冊だけ刷るのはもったいないから欲しい人に配ろうということから生まれたもの、ですよね。その本を無料でもらうのはちょっと、ということで自分の本やお金という対価を払うようになったのでしょう。ネットが発達した今ではまた違う認識なんでしょうけど。

 とある作者の作品が好きで、もっと読みたい、これからも活動してほしいという応援の意味も含まれているという意見には全面的に賛成しています。パトロンってやつですね。パトロンといえば経済的に豊かな人が多かった歴史がありますが、同人活動ではお金持ちに限りません。出せる額に限度があるからこそ、値段問題が発生するのかなと。

 無理なく応援する、という認識が広まればいいなあと思います。そして、作者側は応援されればラッキー、ぐらいの気持ちでいた方がいいんじゃないでしょうか。好き勝手に書いてたら応援されるってすごいことです。少なくとも私は感謝より前に驚きがきます。だってまったく知らない人が自分の作品読んでくれて、さらに反応(お金でも感想でもいいねでも)をくれるんですよ?? 溢れるほどある娯楽の中で自分の作品に目を向けられることのすごさを考えれば、値段なんてそんなに気にならないです。私は。

 主に書き手メインで考えてみました。読み手としては、好みの作家さんにはいくらでも払いたい、もっと応援したい、けど力(経済力や拡散力や語彙)が足りねえ、と思っています。私の中でも書き手と読み手で意見が違うのだから、同人活動をしている人たちの意見なんて千差万別。それぞれの価値観にあった活動をすればいいんじゃないかな、と思います。それが業界なんてない同人活動のよさなんじゃないでしょうか。

 

 ここから先がタイトルにある、あくまで私が楽しいと思う同人活動の形です。とっても私的。

  

 

 このツイートをした後、ふと小学生時代を思い出しました。というのも、私は小学校高学年ぐらいから友人と小説の読み合いをしていたのです。書いたノートを持ち寄って、帰り道にある階段でそれぞれの作品を読んでは感想なんか言っていました。たまに交換して続きを勝手に書いたり。楽しいことばかりでもなく、この形式はパクリだなんだと喧嘩もしました。今思えばサークル活動みたいなものですね……。

 もともと二人で細々としていた活動でしたが、教室で話したり書いたりしていたせいかだんだんクラスメイトに知られるようになりました。読者が増えたり、「私も書いてみた」なんてことになったり……。いつの間にか一大ブームを引き起こしていました。将来の夢の発表で「作家」と書く人の多さが、それを示していたように思います。(確か私はエッセイストと書いたような……)

 結局活動を始めた友人とは喧嘩別れをしてしまったのですが、この頃の活動が一番楽しかったように思います。書いて、それを読んでくれる人がいるという嬉しさが原動力でした。文章はへったくそ(擬音と会話文のみという小説とは言い難いもの)なのに、未だにノートを捨てられないでいるのは純粋な楽しさを感じられるからです。

 時間が余ったからとテスト裏に掌編を書く、なんてとち狂った所業に丸をもらったり、小説を書いて製本(色画用紙で原稿用紙をくるむだけ)することを目標にしたへんてこな部活を作ったり、小学生時代は私の全盛期でした。

 

 読者と作者の境なんてなくて、好き勝手に小説持ち寄って読む。そんな雰囲気の同人活動がしたいなあ、と考えています。(実を言うと、ブームになって人が増えるといろいろ問題が起きまして。自分の手の届くぐらいの範囲で活動するのが一番、というスタンスでいます)