とかげ手帳

手帳の中身のおすそわけ

*ネタバレあり 『ゼロの執行人』考察

こんにちは、ビブロンです。忙しさが落ち着いてきたので、映画見に行ってきました。

昨年『純黒の悪夢』を金曜ロードショーで見た時には「ああ、あれが話題のか。ふうん」ぐらいだったのに……沼に落ちてからはあっという間ですね。

多少覚悟を決めていったにもかかわらず、じわじわと侵食してきています。なんだあのスルメ映画は……。いろいろとんでもなかったので、私なりの考察をまとめてみました。

原作未読の上に知識がほぼない状態での私見なので、「素人が何抜かしとんじゃ!」と思った方は読まないことをおすすめします。

エンドロールが格好良すぎて、ほぼそれ目当てで2回目に行ってきました。何度見ても鳥肌立つ。

ほんの少し追記あります。ざっくり言うと、深読みしすぎた。

以下、ネタバレのオンパレードです。容赦なく書いてます。

 

 

ストーリーやアクションシーンなんかは割愛します。アクションについて一言だけ。

絶対死んでると5回ほど思った。(むやみな危険行為はやめましょう)

MVPはマツダのRX‐7ですね。

84巻を読んだ後にクライマックスの「3、2、1、ゼロ!!」を聞くと感慨深いものがある。

私が注目したのは、「協力者」と「正義」についてです。

 

「協力者」

これは裏テーマになってるんじゃないかと。犯人の動機、弁護士境子さんの言動、そしてコナンと安室さんの関係など様々なところに関わっていて見逃せない。

まず動機。公安が羽場さんを自殺と見せかけたのは、犯人が「協力者」にこだわりすぎてしまったから。「協力者」はあくまでも「協力者」であって「相棒」ではない。その場、ある時期だけある目的のために、信念が違う者同士だけど「協力」する。それが「協力者」。犯人は「協力者」と「相棒」を履き違えていた。だから公安はあの措置を取ったのだと思っている。犯人はそれが理解できなかったから今回の事件につながった。

次に境子さんについて。風見警部の「協力者」として働いていて、けれど反抗心があったから小五郎を起訴に追い込みたかった。そして、「解放する」の言葉に激昂。「あんたたちの思い通りになると思ったら大間違いよ!」的な言葉を吐く。これは公安が「協力者」を守る、という精神が起こしたこと。そもそも「守る」ということはその人を無意識に下に見ているのでは(友人談)。公安は守るためとはいえ「協力者」の行動を統制しようとしていた。その魂胆が見えたから境子さんの怒りが爆発したのだと思う。確かに行動が分かればどのように守るべきかすぐに分かり、守る側にしてみれば理にかなったことだ。しかし、守られる側は決して守られるために生きているわけじゃない。守る=いいこと、という図式ができている守る側が守られる側のことを考えず、独りよがりになった故に起こった悲劇だ。

ここで少し脇にそれるが、守る側と守られる側の意識の食い違いがよく現れている関係として、新一と蘭の関係が挙げられる。今回、小五郎が捕まったことによって蘭の心は不安でいっぱいだっただろう。信頼できる人にそばにいてもらいたかった。「こんな時にあいつは何やってんのよ」という園子の言葉が蘭の心を代弁している。守る、とは身を守るだけではない。ただそばにいてくれるだけでも守ることになるのだ。本当に守れるか、大丈夫かは抜きにして小五郎が言った言葉は毛利一家を安心させた。守る、ということにもいろんなやり方がある。コナンは蘭のために、と思っているけれど本当に蘭のことを分かっているかは疑問だ。お互いの立場を考えてこそ本当に相手のためになることができるんじゃないかな、と思ったのだった。

最後にコナンと安室さんの関係。今回は「協力者」という関係を如実に表していたのがこの2人。盗聴し合いもお互い気づいた上でわざとさせていたように感じる。じゃなきゃわざわざコナンの目の前で風見警部と接触なんてしない気がする。接触するシーンを見せたのでは?と思うのは深読みし過ぎだろうか。コナンはコナンで気づいていたことが発覚したからこれもわざと。2人は盗聴器を通じて協力関係を結んでいたわけである。これに気づいた時は「うまいな」と思った。2人の関係を表すのが上手い……。コナンを「協力者」にするためにした手段のことについては後述するが、安室さんという人物が見えた気がした。お互いに考えていることは違うけれど、今回だけの「協力者」。その言葉に尽きると思う。

余談だが一つ気になったこと。羽場さんが哀ちゃんに「君たちは一体……!?」と聞いた時、「小さな探偵さんの協力者よ」と答えたことについて。羽場さんよくやったと思った。きっと他の少年探偵団メンバーに聞けば、「友達」だとか「仲間」だとか言っていただろう。哀ちゃんはあくまで「協力者」と言った。哀ちゃんにとってはこの関係なのだ、とこの一言で分からせるとは、すごい。哀ちゃんとコナンの関係には注目していくべきだろう。

 

なんだかすごく長くなってしまって読みにくいかもしれません。まだまだ続くよ!

 

「正義」

これはもう表のテーマでしょう。いろんな「正義」のぶつかり合い。端的に言うと、犯人と2人(コナンと安室さん)の正義のぶつかり合いの影に、2人の正義のぶつかり合い(小競り合い程度かな)が隠れている。これがまたうまいんですよもう……。犯人が「これは正義のためだ」と言った瞬間、「そんなの正義じゃない!」と言いきるコナンくんが眩しい。そうだね、コナンの正義には合わないね、と思ってしまう。私的には、コナンの正義というのは蘭が中心にいるけれどみんなも守る、みたいなイメージ。そして真実を解き明かすことも。まあ、はっきり言えば綺麗ごと、夢見がちな正義。けど、それをやってのけそうなのがコナンくんという存在で。安室さんの正義はもちろんこの国、日本を守ること。話が飛ぶが、安室さんの「怖い人」、という言葉は命を脅かす意味ではなくて自分の正義が負けてしまいそう、という意味なのではと思っている。(もっと単純に、敵に回したくない相手だから、ってことかもしれない)1人は分からないけれど、コナンが含まれているということはそういうことなんじゃないかと。正義と正義をぶつかり合わせた時、負けるかもしれない。誰か一人を守るために必死になる、そんなコナンの正義を認めていた。だからこそ小五郎を利用した。コナンが出てくると分かっていなければやる意味がない。ここで安室さんが怖いのは、確実にコナンが必死になるのは誰かを特定しようとしていること。嫌な予感しかしない。コナンが最後に分からない、と言ったのはそんな魂胆を知りながら、でも安室さんの優しさを信じたくて最後に確認した、と見るべきか。(ここまで来ると妄想に近い)結局無意味だったけれど。「……買いかぶりすぎだよ」の言葉で違う正義を持っていることを理解したのかもしれない。(結構嬉しそうに言ってたからコナン君こんなに深く考えてない気がする。深読みし過ぎ)そう、だから2人は反対方向に分かれる。「協力者」終了の合図。この時安室さんだけ怪我をしているのは、安室さんの道が自分を犠牲にする可能性が高いからでは。コナンは蘭のために死ぬわけにはいかない。けれど安室さんは日本のためなら死ぬ気がする。(「命をかけて守りたいものがある」のセリフからして日本のために死ねますわこの人……)ここが2人を大きく分けてるんだろうなあ。と、ギスギスな感じで考えてみた。肯定的な面もあげると、コナンを死なせないのは組織の命令と公安の身分とがあったかもしれないが、無傷で守ったのはコナンの正義を尊重した結果なんじゃないか。無事に大切な人のところに帰れるようにしたのかな、なんて思ってみる。

コナンは体は子ども、頭脳は大人、心は少年って感じ。まだまだ夢見がちボーイだなあ。好きです。

 

これは、と思ったことだけ書きだしてみましたが、思った以上に長くなってしまいました。なんだこの長さは。まだまだ思ったことたくさんあるのですが、今回はこの辺で。「協力者」の数字の話とか高木刑事の言った「警察官だけだったっていうのが不幸中の幸い」とか……また書くかもしれません。エンディングの歌詞のことも考えたい。

 

最後に。この映画は、深いです。組織、個人、様々な関係……日本という国を考える機会にもなります。軽い気持ちで見ると大火傷してしまう。そんな映画でした。

私の安室さんへの思いとしては、一人の人間として生き様を見守りたい、です。これからどう生きていくんだろうという興味があります。

以上、お粗末ながら初見考察を終わります。一個人の勝手な考察でしたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。