対話が面白かったというはなし
たまには意味が分からない本を読むのも楽しい。
面白かった!! 対話。対話だけど対話してない本。哲学的な話で難しいけれど読み飛ばしつつ、読み切る。段落が長くなるたびに読み飛ばせと書いてあったので、なんていいタイミングで!と思った。読み終えてから小説を読むとするする読めてびっくり。
『虐殺器官』の影響ですっかり伊藤計劃氏にはまり、気になっていたドゥルーズの名を発見したので読んでみることに。好きな作品に出てくる作品も読みたくなるのはわたしだけかな。器官とか、平和な世界とか、帝国とか、おっと思う単語がたくさん出てきた。たぶん伊藤計劃氏はドゥルーズを読んでいる。
考えるな感じろの精神で私なりに理解できた、と思う。感じることって大事。顔を失くした小説を書きたいものだ。わたし、が出張ってなかなか難しいけれど。
気に入った一節を最後に引用。プルーストの言葉なので引用の引用になってしまうが、とっても好きな一節。解釈するのも楽しいけれどほどほどにしよう、と思ったのだった。
美しい本は一種の外国語で書かれている。ひとつひとつの語の下に私たちの一人一人は自分なりの意味を盛り込み、あるいは少なくとも、自分なりのイメージを盛り込む。そのイメージは誤読〔反対の意味〕になることもある。しかし美しい本の中で作り出される誤読はすべて美しいのだ。